「神童」


 川村驥山、幼名川村慎一郎は明治15年、磐田郡久努村村松(現在の袋井市村松)の油山寺(ゆさんじ)門前に、川村東江の長男として生まれました。
 幼い頃から父東江、太田竹城、岡田良一郎に漢学(かんがく)と書を学ぶと、わずか5歳にして『大丈夫』という傑作を残すなど天才を発揮、「二葉」と号して神童と呼ばれました。



「武者修行」

 
やがて、二葉は一本立ちの書家(しょか)となるべく、各地の素封家(そほうか※1)のもとを筆一本をもって旅する、いわゆる文人墨客(ぶんじんぼっきゃく※2)の生活へと入ります。
 酒好きの驥山の供は、お酒を仕込んだ杖だったとか。



「号『驥山』」

 
19歳の時上京した二葉は、小室屈山に師事(※3)し、漢詩や書の道を一層深めます。やがて、屈山により号を「驥山」と改め、可睡斎において盛大な改号披露を行いました。
 その後、弘法大師や中国書道の研究に努め、東京に居を構えてからは書道界の振興に尽くしました。



「故郷に眠る」

 
驥山先生は昭和25年、戦禍を避けて長野県篠ノ井へ疎開、ここを終の住処とします。
 昭和25年、書道界初、また静岡県初の日本芸術院賞受賞など、数々の賞を受け、書道界の発展に尽くしました。
 昭和44年、87歳で亡くなると、懐かしい出生の地、油山寺で永遠の眠りにつきました。


 ※1 素封家/財産家・大金持ち
 ※2 文人墨客/絵画や詩文をよくする風雅な人
 ※3 師事/ある人を先生として、その教えを受けること。